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感謝と感動の国、バヌアツでの2年間 私はいつもいつも走っていた。 目的地が何だったのか、何を求めていたのか自分でもよくわからない。いつも自分には何かが足りなくて、そして自分には何かが欠けていて、その何かを追い求めて私は走っていた。もちろん目標や夢はあった。なりたい職業やとりたい資格も明確だった。そのため勉強もしていたし実際いくつかの資格も取得した。でも、どれもこれも私を満足させるには十分ではなかった。何かが確実にあの頃の私に欠けていた。だからいつも走っていた。そこで止まってしまったら自分に負けてしまいそうで、そこで後ろを振り返ったらだれかに追い越されてしまいそうで、いつも走り続けていた。休息している自分がとても嫌だった。そういう自分を馬鹿なやつと自分で自分を責めていた。 私はいつも幸福に囲まれていた。私の尊敬する両親に育てていただき、ずっと自慢だった兄とも仲がよかった。両親に兄弟が多かったのでたくさんの親戚が日本中にいた。やさしく厳しい祖父と祖母が私は大好きだった。友人にも恵まれた。何でも話せて心の扉をとじる必要のない友人と出会うことができた。嬉しいときはともに笑い、悲しいときはともに泣いてくれる自分の分身のような友人も見つけることができた。バイトや職場で出会った人たちも、みなすてきな人ばかりだった。いつも私を励まし、支え、時には厳しく叱ってくれた。 私の周りにない物は無かった。確かにたくさんのお金はなかったけれど、不自由を感じたことは一度もない。おなかかが空いたときはコンビニエンスストアに行けばよかったし、レストランに行けば、温かいご飯を食べることができた。好きなお酒を飲んで、楽しい気分にもなれた。デパートで好きな洋服を買い、流行の靴やカバンを身にまとった。物が増えてしまったら、ごみ収集日に決められた場所に出せばいいだけのことである。買えば買うほど、古くなったものはほとんど捨てた。 必要な情報はいつでも簡単に手に入った。インターネットがすぐに何でも教えてくれた。本や雑誌を開けば有り余るほどの情報を入手できた。図書館には読みきれないほどの活字が並び、時には「どう人生を生きればよいか」といった難題にについても答えを教えてくれる本があった。「今日を楽しく生きる方法」「人とうまく付き合う方法」「自分らしく生きる方法」という解説書も簡単に手に入れることができた。電話一本で家に何でも届いた。携帯電話を使って、いつでもどこでも誰とでも連絡をとることができた。 どこかに行きたくなったら電車やバスに乗ればどこでも行けた。自分の車や自転車でいけないところはほとんど無かった。飛行機や新幹線を使えばあっという間に目的地だ。海を超えた外国でさえ、小さなパスポート片手に簡単に行けた。世界がとても狭く感じた。本当に本当に便利な世の中で、何の不自由も感じずに暮らすことができていた。 けれど私はひたすら走っていた。何でも持っているはずだったのに、なんでも手に入るはずだったのに、そして家族や友人が回りにいてくれたのに走ることを止めることができなかった。たくさんの幸福に囲まれていながら、いつもいつも何かを探していた。 24年間そんな風に生きてきて、私の夢の一つであった青年海外協力隊員として発展途上国と呼ばれるバヌアツ共和国に派遣されることとなった。名前も場所も知らなかったこのバヌアツ共和国での2年間の毎日を一言で書き表すことはできないけれど、私が生まれて自分から走ることを止めてみようと思い立ち、ゆっくりと休息できる場所に出会えたのがここバヌアツ共和国だった。 バヌアツで私が初めて出会ったもの、それは広大なる自然の風景だった。日本では見たこともないような、どこまでも続く大きくてつかみきれない生き生きとした本当の自然がそこに住んでいた。 私の目の前に広がっていたのは、どんな美術の教科書にも載っていなかった鮮やかな色彩のオンパレードである。薄暗い紺色の空がピーンと張り詰めた空気を吸い込むようにして少しずつ鬼灯色に変わっていく早朝。その淡いオレンジ色が大空というパレットの上で名残惜しい昨晩の紺色と混じり合ったとき、その遠くにまるで炎のような太陽が顔を出す。鏡のように澄んだ大海が新しい始まりを波の音で告げてくれる。私はこういった美しすぎる自然のドラマを目の前にして、いまだかつてない真新しい朝を毎日毎日迎えた。こんな風に私は毎日大自然に囲まれてくらした。 私の学校と自宅はどこまでも続くジャングルに囲まれているのだが、そこから生まれる新鮮な空気が本当においしかった。黒々とした土から採れるみずみずしい野菜や果物を手づかみ食べ、のどが渇いたときは椰子の木からもぎ取ったココナツのミルクを飲んだ。夏休み中に小さな離島へ旅行したときは、まったく文明の利器から遠ざかった暮らしを経験した。電気の無い夜、煌々と輝く月明かりの下で葉っぱに包まれた蒸し料理を思いっきりほうばった。トイレットペーパーの代わりには枯れた木の葉を使用し、石鹸の代わりには樹木の蜜をあわ立てて使った。 竹が編まれて作られた壁と、ざっくざっくとした長い木の蔓のようなものを被せた屋根から成る家の中で睡眠をとり、鶏や豚の鳴き声とともに目がさめた。子どもたちと一緒に海で泳ぎ、川を渡り野原を駆け回った。大声で叫び、心から笑い、くたくたになるまで自分の足で歩いた。一本の電話をかけるために空港に行くには3時間かけて歩く必要があったし、その家の畑は山奥の天辺に位置していた。 時計を持たない村人たちとともに自然の時計にしたがって生きてみた。太陽の傾き具合によって一日の行動を決め、月と太陽の明るさすべてを頼った。私が日本で囲まれていたような身の周り物も情報もお店も、電気も水道もガスも電話も車も無かったけれど、毎日を暮らすのに必要なものはすべて純粋な自然の世界から分けてもらうことができた。地下から湧き出る透明な水が生活の柱だったが、鏡がなかったその村で唯一自分の姿を映し出してくれたのもその水の静かな表面だけだった。 溢れそうな情報と物に囲まれ24年間生きてきた私にとって、こういう自然の生活にすぐになじむことはできなかった。自然の中で生活していながら常に自分の時間割を決め、自分を自分との約束事で締め付け、やはり私は走り続けていた。けれど近代化の世界できつく縛り付けられていた自分の脳が、ゆっくりと少しずつではあるけれど、自然の中で暮らすことで徐々にほぐされていくのが分かった。だんだんと自然の歩調にあわせて暮らしていける自分に気づくようになった。自然の食べ物を取り入れ、自然の匂いをかぐ。自然の風の中で仕事をし、自然と一緒になって遊んだ。そうしているうちに、いつしか私の耳に自然の声が届くようになっていた。 大自然の中で、私はやっと立ち止まる機会を与えてもらった。走り続けることだけが自分の生き方だと思っていたけれど、ゆっくり歩いたり、時には何もせずに寝転んでみたりすることも私には必要だったのだ。夢や目標に向かって前進している自分と同じように、ほっと一息ついている自分だって、人に見られたくないような醜い姿だって大切な私に変わりない。道ばたに咲いている小さな花も、名も無い雑草も、海の底で泳ぐ魚たちも自然の世界では誰もが自分を飾らず格好つけずに生きている。自然はありのままだから自然なのであり、自然の中で暮らすには自分を表現する特別な言葉なんて必要なかった。いつだって誰に対してだって自分はただの自分でありさえすればよかったのだ。 2年間自然の中で暮らしてみて私はとても大切なことに気づかされた。それは単純なことかもしれないけれど、私たち人間は紛れもなく自然の一部であるとういことだ。遠い昔、私たち人間は機会やコンピュータから作られたのではない。大自然の世界から生み出されたのである。自然は私たちの親なのではなかろうか。母親のように優しいときもあれば、父親のように厳しいときもある。けれど、自分を産んでくれた両親と同じように、自然の世界がなければ私たちがこの世に生まれてくることは無かったし、今現在自然の力なしには一秒だってこの世に生きていることは不可能なのである。 私はバヌアツに来るまでそのことをまったく知らなかった。だから平気で自然を蔑ろにしてきたし、自然に触れてみようとも思わなかった。私たち人間は両親と会話することが大切なように、自分を産み出してくれた自然に触れることもまた私には大切なことだと思っている。実際、私はバヌアツの大自然に囲まれて数え切れぬほどのことを自然の世界から学んだ。学校の教科書からは学び得なかった何かが自然の中のあった。それは自分自身でしか感じ取れないと思う。けれど、自然の父と自然の母は一人一人に対して確実に違ったメッセージを送ってくれることだろう。 この2年間、バヌアツの大自然の美しさは私に心の奥底から震えるあがるような感動をいくつもくれた。そしてそういった特別な場面だけでなく、普通に流れている平凡な日常の一つ一つの時間が、実はいくつもの偶然が重なり合って生み出された奇跡の塊であることを身を持って知らされた。そしてそれを知ることで、こうして私を生かしてくれているすべてのことや人に対して感謝する心を自分の中に見つけることができた。 バヌアツの大自然での暮らしは、毎日が感謝と感動の連続だった。もし日本の時間に追われた足早な生活の中で、心も体も疲れた人、何かに悩んでいる人、何をしてよいか分からない人がいたら、私は大自然の中で寝転んで自然の声を聞くといいと思う。私自身がそうだったように、きっと母なる大地に父のような大きな青空が、何か語りかけてくれるであろう。そして発展途上にある子どもたちにとって自然と触れ合って生きることは、自然の一部である自分が自分として生きてくうえでとても大切なことのように思う。 私がバヌアツにいる間、何度も何度も故郷福島のことを思い出した。四季のある福島と一年中熱帯のバヌアツとでは育つ木々も咲きほころぶ花の種類も違うけれど、なぜか同じような風を肌に受け、同じような芳しい匂いを感じた。きっとそれは自然の雰囲気がかもし出す独特の空気だったのだと思う。バヌアツの緑緑しい景色は、いつも私に子供時代を思い起こさせた。記憶に残っていなくても、体の芯には福島の自然で学んだなにかが確実に刻まれているのだと思う。このふるさとにいつ帰ってきても緑色いっぱい染まった風景に出会えるようなそんな福島であってほしい。そしてそんな自然に囲まれて育つ子どもたちの柔らかな笑顔にいつでも出会えるような福島であってほしいと願っている。 福島で育てていただいた大切な日々の思い出を今後の生きる糧とし、バヌアツが私にくれた感動と感謝の気持ちをいつも胸に抱きながらこれからも自然とともに自然体で生きて生きたい。 岡田 麻紀 |
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