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●〜グラシアス(ありがとう)、ホンジュラス〜●
2005年7月にホンジュラスに派遣されてから、もうすぐ2年が経とうとしています。協力隊任期終了を目の前にし、現在感じていることを最後のまとめとしてお伝えしたいと思います。
発展途上国でその国の人々のために働きたいと初めて思ったのは、中学生の頃でした。憧れでもあった途上国への派遣が決まったとき、嬉しさと不安でいっぱいになったことを覚えています。「養護」という職種で派遣されましたが、初めての海外でスペイン語も話せず、しかも障害児教育の経験も少ない私に一体何ができるのか、と悩んだものです。「2年間を絶対に無駄なものにはしない」と心に強く誓ってホンジュラスに赴任しました。
ホンジュラス赴任後は、日本の生活との違い、そして日本での障害児教育との違いにとまどいを感じる日々が続き、自分の活動は不安要素だらけでした。自分のできることからやっていこうとは思いましたが、現場の問題点は山積み状態で一体どこから何をすればよいのか、模索していたように思います。ホンジュラス生活では、活動のこと、日々の治安のこと、病気のこと、など悩むことが多かったような気がしますが、そんな時にいつもそばにいて支えてくれたのは、同僚でもあるホンジュラス人でした。常に私の様子を気にしてくれ、落ち込んでいたりすると、「何かあったのか?」と相談にのってくれました。同僚であり、良き友人でもあり、そして時には家族のような温かさで私に接してくれた多くのホンジュラス人に支えられ、私はこの国で生活できたような気がします。
私の活動を通して、配属先に残せたものは多くはありません。しかし、いっしょに働いたことによって教員らの障害児教育に対する興味を少しでも広げられたのではないかと思っています。お金を得るために働くという意識が高く(もちろん生活のために働くのですが)、学校にいる時間(子ども達と同じ時間しか学校にいません)のみ子ども達の指導にあたっている状況です。授業の準備などはほとんどなされておらず、授業も同じような内容ばかり。仕事は、もちろん生活のためにするものですが、それと同時に教員達に障害児教育に楽しさや喜びを感じて欲しいと思って活動していました。そうすれば、自ずともっと教育を充実したいと思ってくれると思ったからです。任期中に、教員達の意識がどう変わったかは定かではありませんが、さまざまなことを私に質問したり、「これはどうしたらいいか?」など相談をしてくれたり、と少しずつながら授業への意識が変わったように思います。また、私の行ってきた活動を参考に継続して授業に取り入れてくれている教員もいます。そんな教員達の姿を見るたびに、私は多くの元気をもらい、そしてここでの活動にやりがいを感じることができました。大きなことは残せなかったかもしれませんが、この学校でホンジュラス人と働けたことに大きな喜びを感じています。
名前も、そしてどこにあるのかさえ知らなかった、ホンジュラス。今では、大事な人たちがたくさんいるかけがえのない国となりました。障害のある子ども達とその家族、いっしょに働いた同僚達、近所の友人たち・・・たくさんの人たちに出会えたことで、有意義な時間を共有することができました。ホンジュラス人と築いた関係は、今後も絶やすことなくつなげていきたいと思います。最近思うことは、日本に帰国しても、日本に在住する外国の人たちと何かしらの関わりを持ちたいということです。日本語が理解できず、困っている人もいるでしょう。日本の生活に馴染めない人もいるかもしれません。ホンジュラス人が私にそうしてくれたように、日本に在住する外国の人たちに私のできることをしたいと思っています。人と人とのつながりの大切さを教えてくれたホンジュラス人。これからも、日本人、そして他の国の人々とのつながりを大切に生きていきたいと思っています。
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