皆様こんにちは、今シーズンの冬は積雪と厳しい寒さだと思いますが、ここグアテマラは乾季で風が吹く日は凍えるほどですが、標高が高いので日差しが強く風の吹かない日は暖かいです。また今年は去年よりも暖かく、重ね着が必要ない陽気です。でも、グアテマラでは雪は降らないとの事ですが寒い地方ではマイナスの気温になります。暖房施設が無い事や家の立て付けが悪いために、日本で過ごす冬よりも厳しい日があります。そんなグアテマラでの生活も残すところあと3ヶ月となりました。
●ハリケーンSTANの被害 今年の夏は日本だけでなく世界中で自然災害、台風・ハリケーンがありましたね。ここグアテマラもその煽りを受けました。
2005年10月4日。首都に住んでいる私はやけに雨が降るなぁといった程度で、それほどハリケーンの被害は無かったのですが、グアテマラの太平洋側や西の地域がひどい被害を受けました。
村が丸ごと土砂に埋もれたところもあります。 橋が決壊し、離れ小島になった人々もいました。立て付けの悪い家、土壁の家等々、多くの人々が住む家を失いました。そして、多くの人々も亡くなりました。
グアテマラ第2の都市ケツァルテナンゴ県では日本での主食の米にあたるトウモロコシの収量が半分になったと聞いています。 海外の各国から援助金が政府に送られる中で、グアテマラの一般市民で被害の無かった首都や首都周辺の人々は、ラジオやテレビ等で救援物資の呼びかけを行い、食料品・衣料品の寄付をしました。
食料品で集めているのは、フリーフォーレス(インゲン豆)、トウモロコシの粉(トルテージャ用)、砂糖、コーラ(コカコーラではない安いまがいもの)、水などで、生の豆を送ってもトウモロコシの粉を送っても火はあるのかしらと思ったりもしましたが、多くの人々が食品や、衣類を持って各地で集めていました。その人々は、富裕層から貧困層にかけて様々なものです。自分達の生活もままならない被害の無かった村の人々でさえ、わずかな量でも援助するという光景がありました。
また、緊急時に、水よりもコーラを持ってくる人がいたりするのはここの国がいかに水代わりにコーラを飲んでいるのかわかったことでした。 こうやって集められた品々はホントに山のようになりました。
その品々は、道が封鎖されているところもあるのでヘリコプターで運ばれたりしていたようです。 私が見たテレビのニュースでは、ヘリコプターが被災地に着くと、早い者勝ちに品を取り合っている風景が映りました。平等に分け与えられてはいなかったように思えます。
私達協力隊は、被災地で活動する人は避難し、他の人は移動禁止となっていたので地方の様子がよくわかりませんでしたが、何人かの人は被災者に配給の手伝いをしたようで、やはりそこでも平等には分け与えられてはいないと聞きました。親を失った子供や、怪我をした人々等、配給所にいけない人々の手に食料や衣類が十分に渡ったと願いたいですが。。。。
海外から十分な援助を受けたはずなのに政府の大きな変化はありません。歴史的背景から軍事援助を入れることの出来ない地域は土砂に埋まってしまいましたし、国レベルでの援助がいかに末端に届きにくいのか、そんな中グアテマラ国民1人1人が兄弟のような気持ちで自分たち自身で助け合っていこうという素敵な心を見せられたような気がしました。1日も早く復興する事を望んでいますが、回復の兆しは遠いようです。長期的成果の見える国際援助の難しさを学んだ時でした。
●グアテマラの祝日 (11月1日 死者の日)
グアテマラの11月1日は死者の日という祝日です。亡くなったご先祖が家に帰ってくる日なので、ちょうど日本のお盆やお彼岸といったところでしょうか。
日本と一緒でこの日は家族でご馳走を作り、花を持ってお墓にお供えします。花はマリーゴールドの一種で死者の花(フロール・デ・ムエルト)を、ご馳走はフィアンブレを食べます。見た目はサラダです。材料が多く、肉、野菜、チーズ、ピクルスなど、高価なのでみんながみんな食べられるわけではないのですが。私は去年、ホームスティ先でいただいた記憶があります。
日本と異なるのは、お墓に1日中、夜までいます。そこで飲んで食べてのパーティをするのです。お墓は家によってそれぞれ異なる色(好きな色)で塗られ、花をたくさん飾り、大勢の人々がいるのでこの日のお墓はとても華やいだ様子です。
そして、私が今年足を運んだ大凧大会もこの日の伝統の一つです。 凧を揚げるくらいなので、風が吹く季節という事は想像できますでしょうか?
行ってきたのは、首都から1時間弱のチマルテナンゴ県スンパンゴ市、サンティアゴ市です。どちらの市も首都や他の地域のグアテマラ人、海外からの旅行者で賑わっていました。
お墓までの道のりには出店がたくさん出て、雰囲気としては日本の秋祭りといった感じでしょうか。そうなのです。凧揚げ会場はお墓なのです。凧を揚げる意味は日本とは少し異なって、ご先祖が空から家に帰って来るときに、一緒に悪魔が来ないようにと、空に凧を揚げて守るのです。
なので、凧に描かれたものは悪魔の絵など、日本とは異なります。それでも、直径2メートルもある大凧が空に舞うときは圧巻です。最高で、10メートルくらいの大凧も飾り用に作られます。この作業を見てみると和紙のような薄い紙の切り絵になっていて、時間のかかる作業のようです。
しかし、風のあたりが強すぎると、せっかくの大凧も一日で破れてしまうようです。そんな凧もいくつか見られました。 少し、異様だったのはお墓で凧揚げをするので凧揚げに夢中になっている人はずっと上を向いているのでお墓を踏んでいたり、凧を観ている人はみんなお墓の上に座ってみていたりという様子です。ちなみに、グアテマラでは火葬は無くみんな土葬との事なのですよ。。。。。
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 直径10メートルにもなる大凧 | 多くの人が集まった広場 |
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●世界遺産 マヤ遺跡
大学も年末休暇に入り、念願のティカル・ヤシャー遺跡に足を運びました。 グアテマラには3つの世界遺産があります。 地震の爪あとを残す古都アンティグア・コパン王朝のによって生じた衛星都市キリグア遺跡・そして、ジャングルに埋もれる神殿都市ティカル遺跡です。
ティカル遺跡の4号神殿から眺める朝日は美しいといううわさに惹かれ、乾季の雨の降らない12月31日、2005年最後の朝日を見るべくして、前日の夕方にティカル公園内のホテルに着きました。
さて、朝日を拝むべくして早朝の4時に起床しガイドと共に4号神殿を目指しました。真っ暗な暗闇の中、4号神殿の急な階段を登り待つこと1時間。真っ暗闇の中、次第に周りが見え始めて愕然です。そこは霧の中。朝日どころか何も見えないではないですか。一緒に行った仲間達とがっくり肩を落とし、最初で最後のチャンスは終わったのでした。
そんな中ガイドが用意したコーヒーとクッキーを配ってくれ、朝日はなかなか見れないことを知らされたのでした。その後の旅行者によると前日の30日も翌日の元旦も朝日は拝めなかったそうです。
どなたかティカルへ行き朝日が見れた方はラッキーですよ!! 朝日を拝めずして、そのまま公園内の遺跡を見ました。 ガイドが英語交じりのスペイン語を使うため理解に苦しみながらのツアーとなりましたが、紀元前に立てられたとは思えぬほどのすばらしい巨大石の建築物が並んでいました。まだまだ、闇に包まれたマヤ文明の秘密は数多くあるそうです。
ティカルの他に足を運んだヤシャー遺跡は、まだ発掘中でアメリカの考古学者が入り、グアテマラ人と共に今修復をしているところでした。少なくともあと2年はかかるという事で、数多くの遺跡が土に埋もれていました。手をかけられ観光地化されたティカルとは対照的でこのままベールに包まれていてもいいのではないか?とも思ったりしました。
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 ティカル遺跡第1号神殿 | 修復されたばかりのヤシャー遺跡 |
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●織物の上達
時間を見つけては通っている織物ですが、自分でもデザインを考えたりと少しずつではありますが楽しみ方も増えました。帰国までにあと何回通えるかはわかりませんがグアテマラの価値ある文化として習得したいと思っています。そんな中、首都にある織物博物館を訪れました。グアテマラの織物の歴史を知る事ができ、また新たな魅力も感じました。日本の絣の模様は中米からヨーロッパ、東南アジアの方向から日本に渡ったとされ、興味深いものでした。そういえば、グアテマラ人の民族衣装のスカート(コルテ)は日本の絣に良く似ています。
 | | 織物の先生ロクサナ(私の右)とその家族 |
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それでは、今年も仕事が始まりますのでまた次回に仕事を含めご報告いたします。
渡邊 純子 (15年度3次隊 職種:野菜 配属先:国立サンカルロス大学農学部 本宮町出身)
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