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アルトパラナ通信 No.4

レストランにて

こちらに着いた当座、歓迎会ということで夕食をご馳走になった。住居の定まらなかった一週間、ホテルと呼ぶにはいささか侘しい山小屋風の小部屋ではあったがご当地最初の生活の仮住まい、右も左もまったく判らないまま近くのレストランで8時から夕食とのこと。ああ、8時までの何という永さ。日本を立って十日余り、日本食はもとより、まともな食事にありついていない身に対して、相手は早くて申し訳ありませんといった風情。もっと早くとも言えず、じっと我慢の子となった。

時至りやっと案内されて入った店は、この国の平均的なパリージャ (網焼肉)レストラン。まず野菜を数種、味付けも自前のサラダを各自作り、その一皿を平らげるのを見計らったかのように、モソ(ウエイター)が1Mもある金串にこれまた大きなチョリソ(ソーセージ)を1個ずつ手際よく皿へ移してくれる。決して「モソモソ」などしていない。萎えた身にうまく、心までが温まる。

これを機に矢継ぎ早にポージョ(鶏)・セルド(豚)・バカ(牛)と続く。いわゆるほだ火で焼いたアサードにはやはりビーノ・テイント(赤ワイン)が似合う、アルゼンテイン名物のアサード(焼肉料理)である。お替りも自由だが、とても胃と気が持たない。しかし飲み物となると別の胃袋があるらしく、じっくりと飲む。腹満ち、気緩み、なお席立つにもの憂くも、はや9時半ばを過ぎて、気ずけば全店満席。外には乳飲み子抱えた家族連れ。この家族の「夕食」はいったい何時にお開きになるのだろう。8時で音を上げるようではここでは生きていけない。

では「どうしてこんなに遅いのか」とウサギさんよろしく聞きたいのをじっと我慢の一年余、何とかがってんがいきました。ブエノスアイレスといった勤め人の多い都会は別として、ここミシオネス州の昼食は1時から2時ごろとなる。何しろ市役所は午前中で店仕舞い。いいご身分と思いきや、午後はバイトの生活とか。銀行は1時で閉門。会社・商店は午前の営業12時、午後の始まりは夏が4時でその他が3時半。

ここミシオネス州は北と東がブラジル、西をパラグアイに接して、地図上ではアルゼンテイン側から北東にやたら突出した形の亜熱帯で、6・7・8月の冬といっても日中はせいぜい長袖シャツで通せる。が、夏ともなると40度もしばしば。クーラー無しでは寝られない。したがって午後のこの時間帯は昼食と午睡(シエスタ)の「死んだ街」となる。さて仕事に戻って7時半か8時で終了。家に帰って「さあ皆で夕食」となるには当然9時過ぎにはなるわけだ。

アルゼンテインは小学校から大学まで午前・午後・夜の三部制。幼稚園と思いきや、小・中一貫の堂々たる学校だったりする道理。そのうえ、高校生(こちらでは中・高一貫)まで男女共通の、看護婦さんの白衣の膝上までのひらひらしたのが制服なので、つい連想してしまうのかも。それはとにかく明けやらぬ冬の6時、其の影法師たちが三々五々街角を横切る。家を出る時は紅茶を飲む程度だそうだ。すきっ腹抱えた家族全員、午後の活動力を付けるためにも昼食が一日のメインとなる。スーパーや肉屋で一つ2キロ余の肉の塊を三本も買っていく。腹いっぱい肉を食べるのがここの食事では、これが普段の姿である。ついでながらここでは、米は野菜に属し、サラダの食材の一つにすぎない。それを大量に買うハポネスはアリならぬキリギリスか。

とにかくここでは大人も子供も一緒だ。大人だけ、子供だからという規制や区別(差別?)がない。皆が楽しめる共通の時間「夜」を有効に使う。夜8時過ぎに始まる小・中学校の体育祭。ダンス学校の発表会は8時開始が10時からだったが、生徒の10倍ほどの家族・親戚・友人等が各テーブルごとに飲みかつ食らいの大歓声。年端もいかぬ女の子がプロ顔負けいでたちのベリーダンス。アラブの腹をくねらせる官能的な踊りが、クラシックバレーやジャズダンス・フラメンコ・タンゴと同格で演じられるのだから。たしかに大人に踊れて子供が踊って悪い踊りはないはずだ。

ここの子供は一見、家庭的・社会的にしつけや社会性を付与されていないかにみえることがある。その点まさに子供らしい子供で純粋さと明るさに満ちているが、いささか歯止めがきかないときも多々みられる。その具体例は今は留めたい。しかし、この子たちが十代を半ば過ぎるととたんにしっかりとした信頼感ある大人に大変身するのだから不思議だ。なぜこうもかわるのだろうか。在ミシオネス1年半で解明できるはずもないのだが、わずかの事例からの自分なりの管見を記してその根拠としたい。

7月上旬のある夜、知人のお孫さんの誕生日に招かれた。会場の内外は千六百個の白い風船と天井と壁を飾る白布、テーブルと椅子を覆うこれまた白い布。正面に「15歳誕生日おめでとう」の横断幕。その下には山のご馳走。80人ほどの男女同級生やら友人たちのなか、正装した父親に導かれてこれまた正装の花嫁ならぬ15歳の「少女」が入場と相成る。お色直しもある。まったくの結婚式である。そう思わせないのは花婿がいないだけ。主催側の家族は老いも若きも正装で鎮座まします。

プロの司会によるセニョリータの紹介が終わると、とたんに強烈な二拍子のリズムが鳴り響く。曲ならぬリズムだけだが、これと同時にほぼ全員が踊りだす。リズムに合わせるだけの尻振りダンスだ。これが明け方5時まで続く。体ばかりでかくてもオクテの男の子はお目当ての女の子に近づけずにおろおろするばかり。知らんぷりを決め込む女の子は決して「知らん不利」とはしない。相手の決意と実行を待つばかり。然るにヒロインは全てに平等でなくてはならぬ。 全員と踊るのだ。

体力・知力、やさしさと微笑みが要る。感謝がある。かくして女子は、15にして学に志すにあらずして、成人となる。招き招かれを年に数十回も経験すれば親の有難さも家族の苦労も友人の大切さも判ろうというものだ。 因みに、以前は午前1時か2時には終わっていたが、数年前から治安の悪化に伴い、朝帰りが本人・家族とも安心ということでかく相成ったとのこと。      

アルゼンテイン流子育ての大らかにして愛情溢れる一端を覗いて、記した次第。

2003年12月

(日系社会シニア・ボランティア 日本語教育 若林藤男 会津若松市出身)

 
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