| |
|
|

アルトパラナ通信 No.3
日々の中で
6月中旬、もうこちらでは冬の季節に入ったのに好天が続き、咲く花の種類は減ったものの緑の葉とともに元気なのは、さすが亜熱帯の地。5月から住み替わった3階の我が家の目前の木は、葉が合歓の木そっくり黒々とした実を付けている。それが何と4.50センチもある。枝を撓わせてぶらさがっている様は、まさに合歓の木のおばけかと思わせる。
この木を右に50mほどいった角を右に曲がる。その角の何屋か判らない小さな店には深々と身を椅子に托した親父さんがこちらを見ている。「ボンジーア」と挨拶する。やおら椅子から身を起こして「ボンジーア セニョール ケタール?」と丁寧な返事が返ってくる。お互い、日課になっている。ちなみにこの「ボンジーア」なる語はブエノス・アイレスあたりでは通用しない。ここミシオネスならではの挨拶である。東に100キロも行けばブラジルなので、ポルトゲス(ポルトガル語=ブラジル語)の影響なのだそうだ。
とにかく、この親父さんの挨拶のあとにこの角を右に一町ほど行く。この「一町」にも悩まされた。十代の生徒まで使っている。面積や長さならわかる。が、似て非なるものだという。スッタモンダの末。「通りから次の通りまでの間隔」と判明。英語のQUARTERやスペイン語のCUARTOに通じる便利なことばではある。話ついでにたまたまわき道にそれるが、日本ではすでに死語もしくは差別語として目に触れなくなった言葉が、ここでは堂々と大手を振って存在している。たとえば「毛唐」・「土人」・「女中」など。
これらを順に、欧米系の人・先住民グアラニー族の人・お手伝いさんの意で使っている。これらを耳にするたびに日亜間の時間の経過の違いを意識させられる。同様「外人」という語のここでの使い方にもその典型が窺える。「外人」とは日本人以外の外国人、特に欧米人を指すことが多いが、その意識をそのままにこの地に持ち込んで、この地にあたってはマイノリテイの「外人」であるはずの自分たちが、ヨーロッパ系住民を「外人」と呼ぶのはあまりにも自己中心的な考えではあるまいか、といささかたじろいでしまう。しかしながら、連日のニュースに現れる諸々の階層の人々のあの激しい自己主張や抗議の声高な表現を見るにつけ、日系人のこの「外人」表現も、ヨーロッパ気質かラテンアメリカ気質だか、はたまたアルゼンチン人気質なのかわらかないながらも、アルゼンチン化した?かれらの通常の感覚からのほとばしりの一端だとすれば気にすることでもないのだろう。などと何やら愚痴をいっているうちに、気が付いた。
何のことはない、自分たちとヨーロッパ系とを区別するために実は便利なことばなのだと。と思いつつも、人によってこれを発する際の微妙な表現の違いを見るにつけ、渡亜時の年齢・学歴・居住地等が関係あるかもしれない。
閑話休題、その一町(ここでは百メートル弱ほどだが)半ばにHERRERIAの看板がかかった小さな鉄工所から流れるラジオのラテンリズムを聞きながら斜め向かいの、半年足らずで潰れたテコンドージムを左折する。例の石片をばらまいたような坂道を登りかかるとすぐに大きなアケビ状の実が数十個ぶら下がっている。巨大な綿の木である。一年がもう過ぎたんだとの思いを新たにする。
こちらに来たばかりの昨七月中旬には、実がはじけて大きな真っ白な無数のふわふわした綿で覆われたよう様子はまるで雲の木のようで、以後カメラにおさめようと市中をさまよったものだった。などと思い出しながらアルトパラナ日本語学校の入り口までまた一町登る。一町いや1ヘクタールある校庭のミカンの木には熟した実が枝もたわわに採る人とてない。ここまでの行程3分のところ、トンデモハップン、文書で十分とは相なりました。
さて、水曜日の私の生徒はY君ただ一人。小学校6年生のやや小柄ながら判断力と運動神経に優れたおとなしい子だ。一歳年上の姉、続けて年子の妹ふたりがここに通っている。実は一番上に長男がいるのだが、出産時の処置のためかどうか普段学校へも日本語学校へも行かず、家で祖父母と母親が見ている。実はここハルデインアメリカの日系70家族には私の知るだけで同じ状況の方が数名にのぼる。親がいなくなったらどうなるのか。Y君の父親は数年前に亡くなっている。ここには公共の療養施設や療養しながらその潜在能力を伸長される制度も施設もない。11の民族の集うこの小さな市に同じような人々がどれほど存在してるのか。
だからここでは「アリとキリギリス」どちらを採るかとなったら、当然キリギリスである。明日をあてにせず今日を楽しむ。明日食うに困ったらアリさんにもらえばいい。雪の降らない冬とはいえ、裸足で物乞いする子供たち。乳飲み子を抱き数人の幼児を連れて物乞いする若いグアラニー族の母親。そのいずれの表情にも恥じらいやつらさ悲しさといったものはまったくない。当然の権利を行使しているという風情で、相手が拒んでもこれまた当然といった体で、気にもとめない。政治家や行政府の腐敗・私物化、それに対する国民の絶望という連鎖にあって、この国にはともに国家・国民という概念がないかに見える。上から下までいかなる手段であろうともおのれの利益だけを求めるだけである。
かくしてこの現状が存在する。こんなにも豊な国土を有しながら。いや、豊な土地を有しているからこそ、今日をなんとか食っていける、今日が生きられたんだから明日だって大丈夫さの楽観主義が生まれたのではなかろうか。今日一日を精一杯生きること。それには明るく楽しく生きることに越したことはない。週末の金・土曜日の夜から朝方5時まで寝つけないほどの激しいリズムと歌が続く。市内唯一の娯楽施設ディスコからなのだろう。半径200M以内ならどこでも耳に入ってくるはずだが、プライバシーの侵害だからやめろなどという野暮天はいない。アリがよくてキリギリスが悪いのではない。アリもキリギリスも長所と短所がある。アリ族はキリギリス族の長所を取り入れるべきではなかろうか。などと思いは夢路にたどり着いたのでありました。
2003年7月
(日系社会シニア・ボランティア 日本語教育 若林藤男 会津若松市出身)
|