| ■ 福島の夏―花火大会と山車祭り |
夏に入りました。日本の夏と言ったら、何のイメージでしょう。私は最初に花火大会を思い出します。
7月最後の日、福島大の中国人留学生たちと一緒に、福島花火大会を見に行きました。
真夏の夜、夜空に花火が咲き舞い、人々を感動させます。中国でも夏になると、花火大会を行う地区があります。しかし、毎年同じ日時に行うことはなく、そして、音楽を伴奏しながら、花火を打ち上げ、アナウンサーの説明さえ最初から最後まで流れるというやり方が正に日本独特なものだと思います。
花火大会を見る時は、多くの日本人は浴衣を着ていました。普段あまり見られない和装の美人が花火の会場でいっぱいという風景も花火大会の魅力の一つでしょう。ついでに、会場の中に、からあげ、かき氷などのおやつも売っている店が多いし、買う人が長い列に並んで、大変人気がありました。食べながら、花火を鑑賞するのは最高です。
次は夏の祭り。日本では、各地でいろんな面白い祭りを行います。福島でも今月、山車の祭りを行いました。山車は福島駅に近い道路をねり歩き行列になって、人力で徐々に動いて進んできました。特に、数多くの提灯が飾られた二本松の山車は印象深いです。県内の若者たちが一緒に精一杯で山車を引いて動かすという行動から元気をもらえると同僚の高野さんが教えてくれました。日本人が毎年祭りを行うのは元気をもたらすためだろうと思いました。
| ■ 6月のエッセイ |
5月の中旬、安藤さんの誘いで、県内在住の中国人と日本人一行10人で、安達太良山へ山登りに行きました。中国の名山―黄山、盧山などに登ったことがありますが、中国では普通山登りといっても、山道の階段を上がって、沿路の景色を楽しむだけのことです。だから、今回、階段のない山道を登り、5時間以上のコースを回った体験は初の本格的な山登りだと感心しました。
6月初、台湾のある養護学校が福島に来て、県内の養護学校と交流を行いました。台湾からの生徒たちは知的障害の重度な子供が多くて、最初に会った頃、びっくりしながら、「学校交流と海外旅行は大丈夫か」とこっそり心配しました。でも、日本の子供達と一緒に音楽や共同作業を通して、仲良くなり、いい調子で交流を進めていました。特に、子供たちを連れてきた家族や先生はとても親切で細やかな気配りがあり、そして、本当に子供たちを愛していると感動しました。
6月の中旬、中国高校生訪日団が来県しました。盛大な歓迎式典と知事表敬訪問での通訳として参加しました。彼らの姿を見て、思わず、6年前彼らと同じ年齢の頃、私も中国高校生代表の一人として、日本に来た時のことを思い出して、懐かしく感じました。
| ■ 5月のエッセイ |
中国と違って、日本のゴールデンウイークは5月で、日本に来て、まだ2週間で、こんな長い連休をもらえることができて、うれしいことです。高校の親友、大学のルームメートはみんなほとんど東京にいますから、連休を利用して、会いに行きました。
東京は今まで、5回ぐらい行ったことがありますので、今回はハードなスケジュールで遊ばなかったです。もともと、ディズニーシーに行きたかったのですが、友達からすごく混んでいるよ、やめたほうがいいと言われ、あきらめました。
結局、新宿や池袋などの商店街で買い物したり、上野近くの映画館でコナンの新作を見たり、銀座にある美術館や浅草を見学したりしました。勿論、もっとも楽しかったのは親友達とよく話し合い、一緒に美味しい料理を食べたことです。
5月4日は友達の家の近くにある葛西臨海公園の海洋館は無料で入場することができます。理由を聞くと、なんと「みどりの日」だからこうするのです。無料で海洋の動物たちの見学を楽しみながら、みどりの日だけに「みどり」の自然に恵まれているという実感をさせ、非常にいいことです。
5月5日は子供の日です。日本の街のあちこちで鯉のぼりを見られます。一つの家の前で、5つ鯉のぼりを上げてあるのを見て、その家に男の子が5人もいるのかと少し不思議に思ったりしました。そういえば、中国旧暦の5月5日は端午節です。端午節句を迎えると、家の入り口に菖蒲をかけ、家族みんなちまきを食べます。川や湖で龍船競争という行事を行う所もあります。ちまきと龍船競争は二千年以上愛国詩人の屈原を記念するためのものです。
伝えられるところによれば、戦国末期、楚国で奸臣の誹謗のために、楚王は、内政改革をはじめ斉と連合して秦に抵抗せよという屈原の主張を受け入れなかったばかりか、かえって彼を遠ざけてしまいました。詩人でもあった屈原はしかたなく放浪のなかで『離騒』などのすぐれた詩辞を書き、自分の憂鬱をぶつけました。紀元前278年5月5日、汨羅のほとりで吟詠していた彼は、楚の都が秦に攻め落とされたという消息を聞いて、河に身を投げ、国に殉じました。付近の人々は、それを聞くとまもなく争って船を漕ぎ、魚から彼を守ろうとその屍を探したというのは、今の龍船競争行事の由来だと伝えられます。また、ちまきは川底の屈原がお腹を空かさないように、そして、川の魚にちまきを食べさせ、屈原の屍を食べないように、との意味が込められている食べ物だそうです。
ついでに、古代楚国は現在湖北省の位置にあり、つまり、屈原は湖北省の出身だということです。屈原のような才能があり、偉大な愛国心を持っている人は湖北省出身の私たちには、誇りに思っています。故に、この場を借りて、彼の伝説と中国の伝統行事を日本の皆様に紹介しました。日本でも端午の節句があると知っています。そして、スーパーでちまきも買えるようです。その後、旧暦の5月5日になったら、日本で日本産のちまきを食べてみたいと楽しみにしています。
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