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| トップ > 回廊(市町村域分) 浜通り > 49.治水事業に関する景観地の回廊 ( 南相馬市) |
| 〜治水・干拓事業に係わる歴史を尋ねる〜 |
| 江戸時代、奥州中村藩は天明の飢饉で多くの餓死者がでた。生活の根幹は農業にあるとの教訓から、藩主の命により、富田高慶らは荒れた村を立て直すために二宮尊徳の弟子となり、彼の思想(二宮御仕法)を取り入れた河を利用した治水事業の実践的な農業生産が行われ、各地域で堰、溜池等の施設の築造が積極的に推進されてきた。 南相馬市の地勢は、旧中村藩の中央に位置し、阿武隈高地を水源と発する真野川、新田川、室原水系など優れた水資源を有している。 尊徳の門人荒至重は二宮御仕法の実践的技術者で、農業生産の向上に寄与する目的で小高区の(室原用水 「 小高江 」 )14.5キロメートルを文久3年(1863))に完成させ、さらに鹿島区の「七千石堰」の改修を慶応3年(1867)、原町区の 「 萱浜堰 」 を慶応4年(1868)にそれぞれ完成させている。これらの堰や用水は現在、我々の生活に多大な恩恵をもたらす水利用施設として大切にされている。中でも 「 七千石堰 」 は米の生産が約1万8千俵(七千石)も収穫できるようになったことが名称の由来になった堰で、規模は東西10キロメートルに及び、真野川水路より掛入れされる溜池が、この地区の景観の特色となっている。 20世紀初め殖産興業・食料増産が推進される中、浦を水田に変える事業が各地で行われた。鹿島区(旧相馬郡八沢村)では、岐阜県養老町出身の山田貞策によって八沢浦の干拓事業350ヘクタールが明治39年(1906)から大正3年(1914)にかけて実施され、小高区(旧相馬郡福浦村)では衆議院議員太田秋之助によって井田川浦の干拓事業(東西1.8キロメートル)が大正10年(1921)から昭和4年(1929)にかけて実施され、現在では豊かな水田地帯を形成している。 南相馬市役所 〒975-8686 南相馬市原町区本町二丁目27 電話:0244-22-2111(代) ホームページ http://www.city.minamisoma.lg.jp/ |
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(ア) 七千石堰慶応3年(1867)に代官荒至重によって、従来の堰を改修し、米が七千石(約1万8千俵)収穫できるようになったのでこの名が付いた。水路は東西10キロに及ぶ。 ■所在地:南相馬市鹿島区栃窪地内 ■駐車場:無 |
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(イ) 測量具・『量地三略と版木』市指定民俗文化財・地経象限儀:角度を基に距離を求める道具。 ・地緯象限儀:高低角を測り高低値を求める ・地平半円儀:傾斜角を測り高低値を求める ・『 量地三略 』 :印刷用原版の版木24枚鹿島歴史民俗資料館蔵 ■所在地:南相馬市鹿島区横手区内 ■駐車場:10台 ■入場料:有 ■その他:トイレ有 ■問合先:鹿島歴史民俗資料館 TEL 0244-46-4281 |
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(ウ) 八沢浦干拓地明治39年(1906)から昭和3年(1914)にかけて岐阜県出身の山田貞策によって行われました。荒地が350haの耕作地となり、農産物の収穫量が大幅に増大した。戦前の銅像。 ■所在地:南相馬市鹿島区港地区 ■駐車場:無 |
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(エ) 萱浜水路代官荒至重の設計によって造られ、サイフォン法を採用しており、慶応4年・明治元年(1868)に完成した。測量・設計は至重考案の機器(市指定文化財)が使用された。 ■所在地:南相馬市原町区西殿地内 ■駐車場:無 |
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(オ) 井田川浦干拓地井田川浦干拓は小高区での大事業であり、相馬郡石神村太田秋之助らによって大正8年(1919)に立案、同10年に工事が着工され、9年後の昭和4年(1929)春に排水開田に成功した。(赤線部分) ■所在地:南相馬市小高区浦尻地内 ■駐車場 :無 |
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(カ) 室原用水「小高江」室原用 「 小高江 」 は、最も開発が困難であった疎水で、万延元年(1860)の着工から完成まで2年を費やした。萱浜水路と同じく荒至重が開発し、測量機器も自身が開発した。 ■所在地:南相馬市小高区金房地内 ■駐車場 :無 |
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