工房ゆづりは/喜多方市

動画
(下の画像をクリックしてください。)
活動の様子とインタビュー




道中の景色
  
   
青砥(あおと)さんが創作活動の場としている喜多方市黒岩地区は、
市内から北へ車で30分ほどの距離にある。

“蔵のまち”として名高い喜多方市。
市内は歴史と趣を感じる蔵が立ち並ぶが、
市内を抜け田園地帯に入ると
生活臭のある農村の風景と解けこんでいる蔵を見ることができる。

しかし、車を進めるに従い、
拡がりのある田園風景が急激に変化を見せ、
道は狭く、山が厳しく切り立ってくる。
車2台がすれ違うこともできない。

久しぶりに緊張感を伴い運転している私を尻目に、
取材の手伝いとして連れてきた同僚は、
初めて見る景色を楽しんでいる。
新緑の山々、山間を流れる水の流れは、正しく“絶景”であり、
仕事でこの地を訪れたことを忘れているようであった。

山間を抜けると、目的地の集落、黒岩地区に辿りついた。

黒岩地区は、山間を走る道の終点にある集落。
山々に抱かれるように、肩を寄り添うように家々が建っている。
道端では、お年寄りが山菜を干していた。
この季節、会津の奥山でよく見られる風景であるが、
厳しい冬が終り、
緑の恵みを授かる季節が到来したことを実感する。

青砥さんが創作活動をしているのは、
およそ12年ほどの前、廃校となった小学校。
廃校の周囲には、陽の光を受けてキラキラと輝く小川、
5月の末日にもかかわらず、
豪雪の名残を主張するように居座っている残雪、
そして、その横に微笑むように咲いている福寿草がある。
妙に懐かしい気分に襲われ、
自分が日本人であることを実感する。
自分の中にある日本人のDNAが反応したのかな、きっと。

さっそく校門?をくぐると、
秋田犬の“カッコー”がドンと玄関に居座っている。
はじめて見る私たちにも、彼女の巨体は微動だにしない。
その風格に一瞬身構えたが、
彼女の目がすごく優しいのに気づく。
どんな環境で飼われているかおのずとわかるというもの。

そして、取材前、創作活動やら農作業やらで、
なかなか連絡のとれない青砥さんの代わりに
スケジュール調整をしてくださった
小野博子さんと佐々木あすかさんが
私たちを出迎えてくれた。
福岡生まれの小野さん、東京生まれの佐々木さん、
2人とも雪国での暮らしは初めての経験。
奥山での創作活動に興味はあったものの、
雪国暮らしには、大変な不安を感じていた。
青砥さん曰く「たいしたことないよ〜」と騙して?誘ったとのこと。

程なく、青砥さんが登場。
口にヒゲを蓄え、作務衣(さむえ)を羽織っているその姿は、
イメージしていた日本画の芸術家そのもの。
芸術を理解する感性が限りなくゼロに近い私としては、
これから展開する取材に大きな不安を感じる。

しかし、その心配は、直ぐに吹き飛んでしまった。
私の質問に対する青砥氏の飾り気のない言葉は、
黒岩の自然のように
私の体の中に何の違和感もなく入ってくる。
取材として予定していた3時間が
あっという間に過ぎたのであった。

◆いいところですね〜

日本の原風景がここにはある。
しかし、過疎化が進み、
今、この集落に住んでいるのは、
私たち3名を含み9名。8世帯。
昭和30年代には、250名の住人がいた。
この小学校でも、
多いときには70名ほどの子供たちが勉強していた。

そして、この地区は、雪が多いのも特徴。
この冬で2m70ほど、7年ほど前には、3m80ほど積もった。
電線を跨いで歩いた。

◆なぜ、黒岩地区を創作の場として選んだのですか?

小学生の時、青森、宮城など雪の多い地域で育った。
雪に対しての憧れが根底にあり、
雪国で創作活動をしたかった。

知り合いの紹介でこの地を知ったが、
会津を訪れたことはなかった。
初めて来たとき、
木々が曲がって伸びているのを見て嬉しくなった。
それは、豪雪の証。
加えて、集落から仰ぎ見る山々には鉄塔がなく、
人工物が極力少なかった。
もちろん、自動販売機もない。
日本の原風景がそのままの形で残っている、
望みどおりの場所であった。

いきなり定住するのではなく、
地域の人々と交流することからはじめた。
平成4年の春から月に2回ほど黒岩に行き、
地元の人たちと酒を酌み交わした。
「オメェ、いつくんだよ?」という声に後押しされ、
平成5年の3月、ついにここに移り住んだ。

◆地域の人々との関わりは?

芸術家で田舎暮らしをしている人は珍しくない。
でも、地域と接触を持たず生活するのではなく、
地域の人々と触れ合っていくことが大事。
自分の芸術に拡がりがでてくる。

集落の中で私が一番若い。
区長を務めたり、
地域の人を町まで車で送ってあげることもある。
(一番近いバス停まで歩いて2時間かかる。)

ただし、人々から与えてもらうことも多い。
雪国で生活する上での知恵、
例えば、雪の上でのかんじきの歩き方、
屋根の雪下ろし、
(誤った雪下ろしは事故に直結する。)
山で迷ったときの帰り方、
どこの伏流水がうまいか、など。

◆会津で暮らして14年、感じることは?

会津は、会津若松市に代表される平場の文化と
その周辺の奥山の文化がある。

平場は東京を向いている。
奥山は自分たちを見ている。
伝統行事である“サイの神”、
もちつき(何かめでたいことがあると必ずモチをつく。)
隣組との関わりや地域の掟。

奥山は高齢化が著しく、
このままでは奥山の文化がなくなってしまう。
奥山の文化は、日本人の財産であり、
奥山をなくすわけにはいかない。
この集落を出て行った人たちが、
“黒岩”を守る運動を興している。
非常に嬉しいことである。

◆ここでの暮らしが作品に与えた影響は?

東京にいたときは、現地で見てきた風景を
自分の頭の中で再構成して描いていた。
いわば観念的な描き方。

ここに移り住んでからは、奥山の自然が、
視覚的・感性的に四六時中身体に入ってくる。
実感で描いている。
自然の有り様を壊さずに自然から受ける実感を表現している。

◆黒岩の住人としてこれからの抱負は?

毎年、5月の連休に展示会と
3日にコンサートを開催している。(コンサートの動画はこちら
(2007年「工房ゆずりは展」は10/27〜11/1に、コンサートは11/3に開催します。)
お蔭様で、毎年たくさんの人が訪れてくれるが、
ゲームばかりやっている子供たちも、
ここに来て、イワナを手づかみで採り、
心の底から黒岩を堪能している。

産業化された観光ではなく、
一握りの人でもいいので、
日本の飾り気のない原風景を体験したい、
という人たちがここを訪れることを願っている。
グリーンツーリズムが流行っているが、
農作業するだけがグリーンツーリズムではないと思う。
地域の人々のありのままの暮らし、
ありのままの自然と触れ合うことが大事。
そのための、手助けをしていきたい。

黒岩地区の入口

黒岩集落

カッコー

工房ゆづりは

青砥さんと佐々木さん

小野さん

大雪の年「こんなに積りました」

校舎内にあるツバメの巣

青砥さん

田植をする佐々木さん

日本画の顔料

青砥さんの作品

佐々木さんの作品

◆工房メンバー◆
青砥昭修 1956年千葉県生まれ 87年東京芸術大学美術学部大学院(日本画専攻)修了 主に日本画を制作
小野博子 1960年福岡県生まれ 88年東京芸術大学美術学部大学院(デザイン専攻)修了 92年京都川島テキスタイルスクールにて染織を学ぶ 主に織り、草木染めによる制作
佐々木あすか 1964年東京都生まれ 88年女子美術大学芸術学部絵画科(日本画専攻)卒業 主に日本画を制作
 


<<福島県のトップページに戻る  <<会津地方振興局のトップページに戻る  ▲トップへ戻る


福島県会津地方振興局
〒965-8501 福島県会津若松市追手町7-5(地図はこちら
tel 0242-29-5214 fax 0242-29-5228(担当:企画商工部市町村支援課)
Copyright 2005 会津地方振興局 All rights reserved